振り回されると感じることの多い週だった。
外資系企業とはこういう人たちの集まりなのだと、つくづく感じる。
2012年3月25日日曜日
2012年3月19日月曜日
2012年3月12日月曜日
2012年3月11日日曜日
忘れられぬ「あの日からの1年」
Time flies like an arrow.
本当に早かった1年だ。経験のない程の仕事の忙しさ、その最中に父が亡くなったこと、それらに向かい合っているうちに1年の半分が過ぎてしまった。
その1年の半分の出来事は、ものの考え方を変えるには十分だった。その位濃密な1年だった。
・・・で、「その日」のブログの内容を見たのだが、「何か書くことあるだろ」と言いたくなるほど、当時のことが(記事を見ただけでは)何も分からない内容なので、「その日」の行動を書き出してみる。
本当に早かった1年だ。経験のない程の仕事の忙しさ、その最中に父が亡くなったこと、それらに向かい合っているうちに1年の半分が過ぎてしまった。
その1年の半分の出来事は、ものの考え方を変えるには十分だった。その位濃密な1年だった。
・・・で、「その日」のブログの内容を見たのだが、「何か書くことあるだろ」と言いたくなるほど、当時のことが(記事を見ただけでは)何も分からない内容なので、「その日」の行動を書き出してみる。
- 14:46、勤め先でかなり大きい揺れに遭遇。しばらくして東の方(後に幕張であったことが判明)で煙が立ち上っていたのを見て、ただならぬ状況であることを感じる。ちょうど急ぎの仕事があった時期で、何か資料を作っていたようだが、交通状況等心配が先に立ち、仕事に十分集中できる状況ではなかった。なお、この時間帯は携帯電話が全くつながらなかった。
- 15:00~15:30?、ようやく嫁と連絡を取る。保育園にいる子供をどうするかということになり、徒歩で1時間強で帰宅できる(嫁は3時間前後)私が迎えに行くことにする。しかし、もし迎えに行かなかったら保育園はどうしていたのだろうか?また、「地震が起きてもすぐに帰宅するな」と言われているが、では一体いつまで待てばよいのだろうか?
- 16:30、「18:00までには保育園に迎えに行かないと」ということで、帰宅を決意。上司にその旨伝え、帰路に着く。途中恵比寿とか目黒とかを通ったが、あんな地震の直後だと、高層ビルだらけの街は恐怖でしかない。道中、コンビニで夕食用の菓子パンを購入。おそらく17:30頃だったと思うが、すでにその頃には店は混雑、食品にも売切れが目立ち始めていた。
- 18:00、保育園に到着。子供の様子を見て安心する。でも頭には防空頭巾、子供も「いつもと違う」状況を感じ取っていたもしれない。帰宅後、菓子パンと握り飯を子供に食べさせる。子供にテレビを・・・と思ってスイッチを入れたが、当然どの局も地震関連の臨時放送だった。20:30頃嫁が帰宅。
2012年3月4日日曜日
急ぎの仕事をやりたくても
なかなか手を着けられない、もどかしい週だった。
所属する会社の海外の(というか本国・米国の)オフィスでは、アウトソース化を進めて莫大な業務量に対応しているのは明らかなのだが、それが日本に実感として伝わらない。
日本人は残業連発で何事もなかったように乗り切って?しまうので、本国でも「アウトソース不要」と考えているとさえ思う。
所属する会社の海外の(というか本国・米国の)オフィスでは、アウトソース化を進めて莫大な業務量に対応しているのは明らかなのだが、それが日本に実感として伝わらない。
日本人は残業連発で何事もなかったように乗り切って?しまうので、本国でも「アウトソース不要」と考えているとさえ思う。
登録:
コメント (Atom)